「男たちは私を拷問し、ペンチで無理やり歯を抜いた」脱北女性が証言

移住民と解除民の住む空間は特に区別されていなかったが、97年にパクさんが住んでいた「ハンリョン村」は幹部や移住民が多く住む「スアン村」と鉄条網で区分けされ、行き来が困難になった。パクさんはさらに「2004年には、移住民と解除民の行き来が完全に禁止された」と明かす。

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パクさんと母も2003年に「解除」された。パクさんは当時の様子を「あまりにも嬉しくて、村中を回って『解除された!』とはしゃぎました」と振り返る。解除民になると身分証の血液型欄の色が変わる。移住民は黒、解除民は赤だ。それだけでうれしかった。

その後もパクさんは18号収容所の中に住み続けた。0歳で収容されたパクさんには他に行くところが無かったし、幹部に掴ませるワイロも無かったため、外の世界に出られなかったというのが本当のところだ。収容所で幼年期を送った者にとっては、収容所がふるさとなのだ。

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だが、解除民や母の口から聞いた「外の世界」に対する憧れは強く、パクさんは2007年に脱出を決意する。