金正恩が演出した「処刑場の妊婦」の残酷ショー
張成沢氏が初めて革命化を経験したのは、金正日総書記の片腕として台頭していた1970年代末のことだった。韓国の情報機関・国家情報院の次長や大統領補佐官を歴任した羅鍾一(ラ・ジョンイル)氏の著書『張成沢の道』によれば、革命化が命じられた理由は、「喜び組」パーティーだった。
張成沢氏は当時、金正日氏のために「喜び組」パーティーを仕切る役割を担っていたが、自らの権勢が強まるにつれ、毎週のように自分に忠実な人々を集め、独自のパーティーを開くようになっていたのだ。
「喜び組」パーティーは、諸外国では金王朝の「堕落の象徴」として見られている。
息子が父に
しかし実態としては、この秘密の会合がある程度の政治的機能を持ち合わせていたのも事実だった。1990年代末に欧州から韓国に亡命した脱北外交官は、次のように語っている。