金正恩が演出した「処刑場の妊婦」の残酷ショー

「パーティーには、政策調整の目的もあったのです。北朝鮮の行政システムは極端な縦割りになっており、部門間の調整がなかなかできない。だから限られた資源の配分を巡って、対立やいさかいがしょっちゅう起きる。そのため金正日は、各部門の長たちに酒を勧めて行政上の問題点を語らせ、『わかった。ではその問題はこのように解決しろ』といった具合に整理していたのです」

また前述した『張成沢の道』によれば、そもそも「喜び組」は金正日氏が、父・金日成主席のために作ったのであり、その趣旨は「日本の占領期から祖国と民族のため、あらゆる苦労をしてきた首領様に喜びを差し上げる」というものだったという。

サービスが「変質」

いかに独裁者といえども、自らの権威を気にすれば、「オレのために美女を連れてこい」とはなかなか言えない。そこで、息子であり側近であった金正日氏が「気を利かせた」というのが、「喜び組」誕生の背景だったのだ。