「街は生気を失い、人々はゾンビのように徘徊した」…北朝鮮「大量餓死」の記憶

私は1994年の12月末、鉄道駅で出会った平安北道亀城(クソン)の女性から大量餓死の話を初めて聞いた。

軍需工場が密集した現地の労働者区では、夏から松の皮をはがして食べ始め、秋頃から飢え死にする人が出始めたとのことだった。

平壌からわずか100キロほどのところで、そのような惨事が繰り広げられているとは知らなかった。あの時の北朝鮮は、そういう場所だった。