「街は生気を失い、人々はゾンビのように徘徊した」…北朝鮮「大量餓死」の記憶
翌日午後、当局のあまりにの非道ぶりに憤った製鉄所の労働者たちが、死を覚悟して製鉄所内で抗議活動を始めた。
数千人の労働者たちは座り込み「これ以上幹部を処刑するな」「幹部は労働者と製鉄所のために正しいことをした」とシュプレヒコールを叫んでいた。自分たちの要求が聞き入れられるまで座り込みを続けるという労働者たちを見て、「さすが街が誇る製鉄所の労働者たちだ」と松林市民たちは頼もしく感じていた。
翌朝のことだった。松林の街に轟音が轟いた。10数台の戦車が街を走り回っていたのだ。米国との戦争が始まったと思った市民たちが戦車の後に続いた。戦車に守ってもらおうという思いで。
ところが、どういうことか戦車は製鉄所の壁を壊して中に入っていった。数百人の軍人も後に続いた。しばらくすると製鉄所の中から轟音と悲鳴が聞こえた。
座り込みを行っていた労働者の集団に戦車が突っ込んだのだ。
慟哭する家族まで
数十人の労働者が戦車のキャタピラに轢き殺され、あたりにはバラバラになった遺体が散乱していた。家族の変わり果てた姿を見つけた人々があきこちで慟哭していた。その光景を見た市民たちは恐怖のあまり凍りついていた。