公開処刑を「見学」に行かされる北朝鮮の小学生たち

「私は1人で韓国に来ました。姉と妹は今も音信不通です。収容所にいたときに、妹が2人死にました。1人は4歳、1人は1歳の時に栄養失調で死んでしまいました。炭鉱で働いていた父も97年に肺の病気で亡くなりました」

―亡くなる人は多かったですか? 「新生児は1歳になるまで、半分は死んでしまいました。食べる物が無いなか、山で毒キノコを食べた母が授乳して、子どもが死んでしまうことも多かったです」

―収容所内には学校がありましたか? 「はい。小学校(4年)と高等中学校(6年)がありました」

―いくつありましたか?