政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
- チョン・ヨンファ氏とキム・チュイル氏は、10歳のときに最初の処刑を見た。どじらの場合も、教員は授業を中断して、子どもたちを処刑場所に連れて行った。
- チョン・ヨンファ氏は、16歳のときに再び処刑を見た。工場責任者が、工場の業績不振に伴いスパイとして処刑された。恐ろしさを感じたし、誰でもがこのような処刑の犠牲者になり得ると考えた。
- キム・ヒョク氏は9歳のときにはじ・めて、清津に近い第25政治犯収容所のそばでの処刑を見た。彼と友人は、あとで見つけた流れ弾で遊んだと語った。
- リ・ジェグエン氏は、北朝鮮で過ごした30年間で少なくとも10回の公開処刑を目撃した。所属する作業班全員が処刑場所に連れて行かれた。そこには1000人ほどが集まっていた。ある男性は朝鮮労働党の幹部たちを批判したとして処刑された。リ氏は、処刑を見せることの目的を次のように語った。
「まるで遠足のように公開処刑場所に連れて行かれた。誰も、党への反対や金日成の思想への反対をしようとは思わなかった」
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社会秩序と国家管理の破壊を防止することを狙った金正日の命令に従い、1990年代の北朝鮮では公開処刑が広く実施された。国営工場からの物資の横領や生きるための食料窃盗など、経済犯罪により多数が処刑された。多くの場合、被告は裁判なしで即決処刑された。被害者の遺体は見せしめとして処刑場所にしばらく放置されるのが通常であった。飢饉が起きたのは北朝鮮で多くの恣意的処罰が行われていた頃であった。