政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
同じ証人は、ある女性が田んぼで取った生米を食べているところを見つかったと語った。房に連れてゆかれて殴られた。証人が彼女を助けようとしたところ、証人も殴られた。
下痢は蔓延しており、同房の収容者が治療を受けられずに死んだ。被害者の身体はやせ衰えていたため、看守は簡単に折り曲げて運ぶことができた。
- 2000年、証人は咸鏡北道の女性刑務所で6ヶ月を過ごした。28平方メートルの房に30から40人が詰め込まれていた。藁が敷かれた床で寝なければならなかった。刑務所から与えられたのは生のとうもろこしと塩汁だけだった。しかし、家族が面会して食べ物を差し入れすることは許されていた。砂袋と石の運搬に従事させられた。夜、収容者たちは行進や駆け足をさせられた。しっかりできなかった者は殴られた。
- 労働訓練所の元収容者は、恵山の短期労働収容所で20代の7ヶ月の妊婦が腹部を何度も蹴られているのを見た。この収容者は夜間に破水し、同房の女性が赤子を取り上げた。赤子は生きて生まれたが、1分後に死亡した。証人は赤子の体を布でくるみ、廊下に置いた。看守が持ち去るまでの1週間、そのままだった。
- 他の労働収容所に収容されていた別の女性も同様の証言をした。中国から送還された妊娠後期の女性が腹部を蹴られて出血した。看守はこの女性を病院に連れて行った。戻ってきたとき、お腹はふくらんでおらず、目は泣きはらしていた。このことから子を失ったのだと推測した。