政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
- ティモシー氏は中国から送還された後、咸鏡南道咸興の労働訓練所に収容され、一度の食事に与えられたのは味つけがされていないご飯5匙と豆粥だけだった。「骨と皮」になった他の収容者たちは毎日午前5時から午後10時まで働かされた。苛酷な労働に加えて、思想教育もあった。金日成の教えを正しく暗記しなかった者は刑期が延長された。2ヶ月ほどの収容で多くの収容者が死亡した。
「収容所から多くの、とても多くの死体が運びだされた。[北朝鮮から]出国しようとした人はまっさきに死体となった。」
- Pさんは咸鏡北道の労働訓練所に収容されていたとき、丸太運びと草刈りの労働をさせられた。収容者たちは飢えていた。
「私たちにはトウモロコシを主とする食べ物が与えられたが、命をつなぐのにやっとだった。若い男性収容者にとっては[与えられた食べ物は]全然足りず、男性収容者は農作業中に虫や蛇を捕まえた。胃袋に何か入っていることを感じ・るため、生きたまま食べた。」
- 労働訓練所で伐木に従事させられていた他の女性は、丸太を山腹から下ろす作業中に多数の収容者が木の幹に押しつぶされて死んだと証言した。
- 2004年、ある証人は新義州でSSDによる取調を受けた後、労働教育所に送られた。午前5時から農作業と伐木に駆り立てられた。1日に与えられたのは一握りのとうもろこしとカブの漬物だけだった。怪我をしていてびっこを引いていたので他人より作業が遅かった。看守に顔を殴られ、歯が折れて失神した。意識を取り戻すとすぐに農作業に戻らなければならなかった。まだふらふらして満足に立てなかったにもかかわらず。作業ができなかったため、看守はまた殴り始めた。その後、医師の診察を受けたが、薬は与えられなかった。