政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
- 証人A氏によれば、2007年、姉が中国から強制退去させられ、燿徳の第15政治犯収容所に送られた。国家安全保衛部はこの事件を特に重くとらえた。モンゴル経由で韓国に行こうとしていたところを捕らえられたからである。キリスト教徒であったことも事態を悪化させた。高齢であったため国家安全保衛部の拷問中に卒中が発生した。にもかかわらず、国家安全保衛部では治療もされず政治犯収容所に送られた。「A氏」は持病および収容所での生活条件のため、収容所で姉が死亡したのではないかと考えている。
- ある証人によれば、その息子はキリスト教徒で中国によく旅行しており、そこで韓国系アメリカ人牧師から宗教教育を受けた。2008年末、息子が牧師と接触していることが発覚した。在中国の国家安全保衛部捜査官がこの牧師を監視していたからである。息子は国家安全保衛部に逮捕された。取調の後、息子は政治犯収容所に送られ、それから会っていない。
- 2009年7月、ある証人と他の3人は2名の高齢者韓国人の支援活動をしていた。この2名は朝鮮戦争での捕虜で脱北して中国へ渡ろうとしていた。この活動が発覚した。証人はかろうじて国境外に出たが、他の者は逮捕され燿徳の第15政治犯収容所に送られた。
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連座制の原則による家族全員の収容は、北朝鮮の政治犯収容所の顕著な特徴である。
この原則は、反体制派の抑圧に特に有効である。北朝鮮の現体制に異議を唱えようとする者は、自分の生命だけでなく近親者全員の生命を犠牲にしなければならないからである。非政府組織、北朝鮮人権データベース・センター(NKDB)は、脱北者の多数の証言記録に基づき、832名の政治犯の収容根拠を整理した。失踪収容で一番多かったのは、本人の政治的理由(48.3%)であった。経済犯罪、行政犯罪、通常の犯罪で収容された者(7.1%)あるいは中国への逃亡(8.0%)はこれより少なかった。一方、収容者の約3分の1(35.7%)は連座制のみが理由であると思われた。