政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
- アン・ミョンチョル氏は、配給所の責任者であった自分の父親が他の幹部に対し、北朝鮮の食料不足は上層部が正しく仕事をしていないからだと語ったと述べた。父親は政治犯罪に問われることを知り、自殺した。アン氏の母親と、まだ小学生だった妹を含めた3人の兄弟姉妹は全員が逮捕されて政治犯収容所に送られた。アン氏は中国国境を超えて逃亡し、収容を免れた。
- ある証人の叔父は、金正日には最高指導者の資質が欠けていると言ったことを自分の家族に通報され、失踪した。家族が叔父にじて聞いた最後の消息は第22政治犯収容所に送られたということであった。
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家族の一人が「国家機密」、たとえば支配者金一家の私生活といった政治的に重要な情報を漏洩したとして家族全員が失踪した例もある。
- 元職業ダンサー、キム・ヤンスンさんはのじに金正日の3番目の妻となり金正日の長男、金正男を産んだ成蕙琳の友人であった。キム・ヤンスンさんはこれがまだ国家機密であった1969年にすでにこのことを知っていた。1970年にキムさんの夫が失踪した。1ヶ月後、国家保安省が彼女を逮捕した。2ヶ月にわたり、秘密拘置所で成蕙琳にじて何を知っているかを尋問された。キムさんは、成蕙琳と金正日の関係を曝露されることを恐れているのだと理解した。取調の完了後、キムさんは裁判も説明もなく燿徳の第15収容所に送られ、1979年までそこで過ごした。キムさんの両親および4人の子ども(失踪時3、5、7、10歳)も彼女と一緒に燿徳に送られた。両親と息子の一人は収容所で死亡した。第15政治犯収容所で、キムさんは、成蕙琳による金正男の出産を介助したとの理由で収容されている女性に会った。