政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖

  • 国家安全保衛部担当官が、学校から帰ってきたキム・ヘスクさんを逮捕した時、彼女は13歳だった。第18政治犯収容所に連行されたが、そこにはすでに家族全員がいた。家族の誰にも理由は示されなかった。収容者たちは、逮捕理由を聞いたり他の収容者とのことにじて話をしたりすれば処刑すると警告された。ある日、彼女の父親が看守になジェ自分が収容されているのかを詰問した。父親は連行され、家族は二度とその姿を見なかった。28年間の収容所生活の間、キムさんはなジェ自分がこんなに長期間の飢餓と強制労働に耐えなければならないのか分からなかった。

親を非難することさえした。2001年、第18政治犯収容所が縮小されたときに、彼女は釈放された。親戚から、家族が処罰された理由は祖父が朝鮮戦争時に韓国に逃亡したからだと聞かされた。

  • 1975年、ある証人の家族全員が、逮捕理由を示されずどの犯罪かも示されることなく国家保安省に逮捕された。この逮捕は地主その他の「階級の敵」の子孫に対する南浦氏での大規模取締の一部であった。300人ほどが貨物列車に押し込まれて第18政治犯収容所に送られた。証人は2006年に第18収容所が閉鎖されたときに釈放された。

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政治犯収容所制度は、これまでもこれからも、「偉大な首領」制度へのイデオロギー的、政治的、社会的挑戦が発生しないよう防止し、その権力を維持することを目的としている。多数の収容者が、本人あるいは家族が北朝鮮の政治制度を批判したという理由で、特にその批判の矛先が最高指導者に向けられていた場合には、収容所に送られた。

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