政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖

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政治犯収容所の存在の否定および隠蔽への努力にかかわらず、調査委員会は、1950年代後半から多数の政治犯収容所が開設されたこと、および現在も存在することを把握している。元収容者や看守など、政治犯収容所を自身で体験しまたは見た多数の者の聞取調査が実施されている。その数人が公聴会で証言した。

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また、調査委員会は収容所の衛星写真を入手して衛星写真分析専門家に依頼して分析し、その結果を当該建築物を特定できた元看守および収容者の証言で補足した。これらの画像は大規模な主要施設が現在も存在し、運用されていることを調査委員会に証明する上で十分なものである。また、収容所の構造の変化が明確に見て取れるほか、元収容者および看守の直接体験証言もあった。調査委員会による公聴会で、数名の元収容者および看守が衛星画像の収容所を特定して場所を説明することができ、どういう構造であったか。どこで強制労働や拷問、処刑が行われたか、その他の収容所での出来事を説明した。

(a)政治犯収容所の場所および規模

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北朝鮮には現在、大規模収容所が4箇所あることが分かっている。北朝鮮の内部用語では、これらには識別用の番号が割り振られている。

- 第14政治犯収容所は平安南道价川市に所在し、面積は150平方キロメートルである。1960年代からあったようであるが、1980年代初めに現在地に移転した。すべての収容者が終身収容された。収容所の脱走に成功した収容者は分かっている限りで1名だけであり、そのシン・ドンヒョク氏は、調査委員会の公聴会で証言している。衛星画像から見ると、同氏が2005年に脱走した後、施設は拡大されているようである。

- 第15政治犯収容所は、面積が370平方キロあり、平安南道耀徳郡の複数の村に広がっている。他の収容所の収容者は釈放されることなく死ぬまで出られないが、第15収容所は完全統制区域と革命化区域に区分されている。完全統制区域の収容者はイデオロギー的に救済不能とみなされ、終身出られない。革命化区域の収容者はこれより軽度であり、「成分」が良い特権階級出身者が多かった。以前には、数年服役した後、勤勉労働、教義学習会への積極的参加、さらには賄賂の支払により収容所当局にイデオロギー改善が認められた者は釈放されることもあった。

- 第16政治犯収容所は面積が560平方キロ、咸鏡北道化成の荒地にある。豊渓里核実験所に近い。体験者の証言によれば、この収容所は1970年代からあったが、当時はずっと小規模だった。収容者たちは収容所内の北西区域と南東区域に区画が別れていた。

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