北朝鮮サッカー代表「負けて炭鉱送り」は本当だった…W杯で決勝点の「英雄」にも容赦なし

彼はその後、1976年と1990年に代表監督を務めた。2008年の北京オリンピックに際しては、北朝鮮の平壌を走る聖火ランナーに選ばれている。

北朝鮮のスポーツ選手の中にはほかにも、炭鉱送りほどではないにせよ、懲罰的な無報酬労働に従事させられた経験のある人が少なくないと聞く。

つまり、「負けたら炭鉱送り」は全く根拠のない話ではないが、それで「一巻の終わり」というわけでもないということだ。