北朝鮮軍で兵役中のわが子が謎の死。怒り狂う親たち
北朝鮮では徴兵制、すなわち「兵役義務」が課せられている。その期間は、世界的に長いと言われるイスラエルの3年を大幅に上回り世界最長の10年。それですら、一時期の13年よりは短くなったものだ。
兵役期間中に自宅に戻ることは難しく、連絡を取ることも容易ではない。長い兵役を終えて自宅に戻ったら、両親が亡くなっていたという悲劇的な出来事も起きる。
(参考記事:北朝鮮で注目「赤い自転車の女」殺人事件の顛末)そんな中で、北部両江道(リャンガンド)出身の20代の兵士は恵まれた環境にあったと言えよう。皆が羨む首都・平壌の部隊に配属されることとなり、入隊後わずか2年で両親と会えるチャンスが巡ってきた。しかし、家族の再会が叶うことはなかった。
現地のデイリーNK内部情報筋によると、両江道に住む50代の両親は、平壌に向かった。息子が配属された部隊から洞事務所(末端の行政機関)を通じて「至急来られたし」との通知を受けたからだ。事情がわからないまま、息子に会えると喜び勇んで平壌に向かったが、そんな両親を待ち受けていたものは、戦死証、つまり死亡通知だった。死因についての説明はなく、遺体すら引き渡されなかったという。
(参考記事:「事故死した98人の遺体をセメント漬け」北朝鮮軍の中で起きていること)
両江道に戻った両親は泣き暮らし、母親は嗚咽と失神を繰り返すほどの状況だったという。
息子は平壌の北東、三石(サムソク)区域にある朝鮮人民軍(北朝鮮軍)の91訓練所に配属されていた。訓練所を名乗っているが、実際は平壌防衛司令部だ。息子が平壌の部隊に配属されたというのが、両親の自慢だった。成分(身分階級)がよい者しか平壌勤務は認められないことから、この一家はそれなりの成分に加え、カネとコネを持ち備えていたのだろう。
脱北者によると、兵士が戦闘、訓練など任務遂行中に死亡すれば、戦死者として処理される。一方で、個人活動中の事故や病気、規則違反の行為で死亡すれば戦死者とみなされない。
この兵士が戦死扱いされたことを考えると、任務遂行中の何らかの事故で死亡した可能性がある。一方で、部隊は両親に死亡通知を手渡しただけで、死因については一切説明しなかったことは、兵士が病死または指揮官の過失で死亡に至った可能性が考えられる。
ちなみに、一命をとりとめたが障害を負ってしまった人には「栄誉軍人」の称号が与えられ、職業や配給の面で優遇されていた。おそらく、戦死扱いになった兵士の家族も、様々に優遇されていたのだろう。今でも、公式には社会的地位が高いが、1980年代以降に国の様々なシステムが崩壊して以降は、福祉の恩恵から事実上除外され、苦しい生活を強いられるようになってしまった。
(参考記事:「革命の道具」として使われる北朝鮮の女性たち)悲しみと怒りに震える遺族は、朝鮮労働党に対して信訴を行ったとのことだ。信訴とは、中国の「信訪」と同様に、理不尽な目に遭った国民が、そのことを政府機関に直訴するシステムで、一種の「目安箱」のようなものだ。
信訴が取り上げられれば、調査が行われ、その結果に従って処分が行われるが、加害者から報復されることもあるため、強力なコネがなければ、そうおいそれと訴えるわけにもいかない。
(参考記事:「訴えた被害者が処罰される」やっぱり北朝鮮はヤバい国)この両親は、周りの人たちに悔しさを訴え、軍に対して怒りを爆発させている。それを聞いた人たちは「人民の軍隊が、息子を送り出した親にあんな扱いをするなんて、国が無茶苦茶になっている」との反応を示しているという。
「人間中心の社会主義」を標榜する北朝鮮だが、人の命が軽く扱われている事例は枚挙にいとまがない。
(参考記事:北朝鮮で「ダム崩壊」の危機…軍兵士らの死亡事故も多発)