貧しい母娘が忽然と消えた北朝鮮「恐怖スポット」の向こう側
2人の住んでいた農場から南に数キロのところに、900メートル級の山が連なっている。その山の向こうには、2012年に閉鎖された22号管理所があり、その事実は村人たちも認識していた。
最大で5万人が収容されていたと伝えられる、一度入れられたら絶対に釈放されない「完全統制区域の収容所」だったが、2012年に閉鎖された。管理所長の運転手と平壌から来た女性収監者が脱走した上に、すぐそばを流れる豆満江を渡って脱北する事件が起きたことが、閉鎖のきっかけという説がある。
(参考記事:「死刑囚は体が半分なくなった」北朝鮮、公開処刑の生々しい実態)
なお、米フォーブス誌は2013年10月、米NGOの北朝鮮人権委員会の報告書をもとに、収容所にいたはずの収容者のうち2万人が姿を消したと指摘、虐殺された可能性があると報じている。
(参考記事:「家族もろとも銃殺」「機関銃で粉々に」…残忍さを増す北朝鮮の粛清現場を衛星画像が確認)村人は、元収容所だった敷地を兵士が警備をしていることは知っていたが、今は軍事施設になっていることは知らず、2人は不法侵入で逮捕されたとの噂が立ち上っている。