政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖
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政治犯収容所の収容者たちは口に出せない暴虐非道を経験していた。しかし元収容者が強調した最も苦痛だったことは、重度の飢餓と餓死との毎日の戦いだった。収容者に与えられる食べ物は量、質、多様性のどれもが乏しく、配給される食べ物を食べるだけではすぐに餓死してしまった。食べ物がすくないため政治犯は痩せこけていた。
毎年、多数の収容者が飢餓やペラグラなどの栄養失調疾患で死亡した。ペラグラは発疹、精神および消化器系の障害、精神機能低下を特徴とする。収容者が長期間生き残るためには虫、ネズミ、野草を取るか、看守や家畜向けの食料をかすめとる方法を見つける必要があった。
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調査委員会が知ったところによれば、収容者の飢餓は北朝鮮の食料不足によるというよりは意図的な方針によるものである。北朝鮮の食料事情が今よりよかった時期においても、収容所は常に飢餓状態にあった。調査委員会が聞取調査を行った元看守その他の保安担当官によれば、飢餓は収容者を弱らせて支配しやすくするため、また、苦痛を強めるための意図的処置であった。
- キム・ヤンスンさんは、自分の家族が1970年代に燿徳の第15政治犯収容所に収容されたときにはとうもろこしと塩しか与えられなかったと語った。彼女の父親は餓死した。キム・ヤンスンさんによれば、労働場所にはいつも走って行っていた。
遅れれば食べ物を減らされるからである。骨折したときにも、食べ物が減らされないように走って行った。食べ物はごくわずかだったので一家は蛇やネズミを取って子どもたちの命をつないだ。キムさんはこう語っている。