政治犯収容所などでの拷問・性的暴行・公開処刑の恐怖

  • シン・ドンヒョク氏は、13歳のときに母と兄が収容所からの脱走の計画を話しているのを漏れ聞いて報告した。その結果、母と兄は処刑された。シン氏は他の収容者と一緒に、母と兄の公開処刑を見せられた。シン氏は自分の母を告発するに至った考えの経路を次のように語っている。

「私が[脱走]計画を報告したのは、すべてを看守に報告することが義務付けられていたからだ。それが収容所の決まりだった。だから、その時は計画を看守に報告することが私の仕事だと思った。その年令のときはそういう自分が誇らしかった。

私は責任者にお腹いっぱいになるまでせんべいを食べさせて欲しいと頼み、それが約束された。だから計画を通告した。」

(d)性的暴行、家庭を持ち子を作る権利の否定

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方針は収容所により異なるようであるが、連座性により収容所に送られた家族は一緒にいることが許されることが少なくなかった。しかし、調査委員会が認定したところでは、既存の収容所の収容者は新たに家族や子を持つことが許されていなかった。この方針は階級の敵を根絶やしにするという国の方針にも合致していた。ごく稀に、収容所当局は、勤勉に労働し絶対的服従を示した模範囚同士の「結婚」を許可した。許可された収容者も相手を選ぶことはできなかった。「夫婦」も一緒に住むことは許されなかったが、親密な接触を行うために年に数夜、一緒に過ごした。その結果、子が生まれることもあった。このような関係の中で生まれた子も収容者とされた。

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