金正恩が演出した「処刑場の妊婦」の残酷ショー

禹仁姫氏の娘のその後について詳細はわかっていないが「私は党を裏切った母とは違って、党に生涯、忠誠を尽くす」と誓い、地方の工場への追放を受け入れたという説がある。それとは別に、「芸術家として暮らしている」という説もある。

夫のリュ・ホソンは、妻が銃殺されるのを目の当たりにして、気を失ったと伝えられている。妻の浮気に耐えかねて何度も離婚しようとしたが、なかなか認められずに臍(ほぞ)を噛む思いをしていたところで、妻は銃殺されたのだ。

彼は地方に送られたが、演出家としての優れた才能を惜しんだ金正日氏により平壌に呼び戻された。

北朝鮮を代表するイデオローグで、1997年に韓国に亡命した黄長燁(ファン・ジャンヨプ)元党書記の秘書を務めたキム・ヘスク氏は、著書『悲運を予告する』で、禹仁姫氏の銃殺について次のように描写している。