「幹部19人処刑の現場」生々しい恐怖に震える北朝鮮国民

RFAの解説記事によれば、金正日総書記はこの当時、激しい不安の中にあったという。1994年に父である金日成主席が死亡すると、時を同じくして大飢饉が発生。国民の反発が自分に向かい、体制が崩壊するのではないかと恐れたというのだ。

そのため金正日氏は、国民の関心をそらせるため、保衛司令部を各地の検閲に走らせて中級幹部らの汚職を暴き、群衆の前で公開銃殺にしたのだ。ある脱北者はデイリーNKに対し、「特に両江道では、保衛司令部は道内だけで少なくとも19人を公開銃殺にしており、非公開で処刑された人々も加えたら、いったいどれほどの犠牲者が出たかもわからない。現場となった恵山では、いまも当時の恐怖が生々しく残っている」と語った。

北朝鮮の公開銃殺は、従来のやり方でも十分に残酷なのだが、保衛司令部のやり方は輪をかけてひどかった。