金正恩氏「叔父を処刑」の背景に王朝内での「女たちの戦い」
張成沢粛清を振り返る(4)
韓国の情報機関・国家情報院次長や大統領補佐官を歴任した羅鍾一(ラ・ジョンイル)氏の『張成沢の道』は、2016年2月に韓国で出版された。対北朝鮮諜報のエキスパートらしく、北朝鮮の元高位幹部と思しき脱北者たちの重要証言がちりばめられている。一方、韓国に亡命した太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』は、2018年5月に出版された。こちらは1冊丸ごと、元北朝鮮エリートの証言録である。
2人は南北の外交官として、同じ時期に欧州で勤務した時期があり、2001年11月にはロンドンで開かれた行事で顔を合わせ、言葉を交わしたこともあったという。
この2人の著書には、互いに示し合わせたわけではなかろうが、相互の内容を補完するエピソードが含まれている。異なる視点と立場から書かれた本の内容が重なっているということは、そのエピソードが事実である蓋然性が高いことを意味する。
金正恩朝鮮労働党委員長の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)元党行政部長が2013年12月に処刑された事件を巡っても、2人の著書からその遠因を探ることができる。
まず背景としてあるのは、金正恩氏の父・金正日総書記の複雑な女性遍歴だ。彼は同時に複数の女性と付き合い、子供を産ませて家庭を持ったが、一部は寵愛し、一部は冷たく遠ざけた。
(参考記事:金正日の女性関係、数知れぬ犠牲者たち)そしてそんな環境の中にあって、「金正恩は、幼い時から叔父に対して根の深い恨みを抱いていたようだ」と太永浩氏は書いている。理由は、金正日総書記の妹である金慶喜(キム・ギョンヒ)氏とその夫の張成沢氏が、金正恩氏の母・高ヨンヒ氏の望みを阻んだからだろうという。
高ヨンヒ氏は生前、自分が生んだ子供たちを祖父に当たる金日成主席に会わせ、金王朝の一員として正式に認知を得たがったという。そうしなければいつ、権力闘争により葬られてしまうかわからないからだ。
ではなぜ、金慶喜氏と張成沢氏は彼女の行動を邪魔したのか。太永浩氏は「高ヨンヒと金慶喜は仲が良くなかったようだ」と書いているが、その理由についてのヒントは、羅鍾一氏の著書に書いてある。本連載では前回、張成沢氏が1970年代の末、金正日氏から「喜び組」パーティーを巡って懲罰を受けたことがあると書いた。
(参考記事:将軍様の特別な遊戯「喜び組」の実態を徹底解剖)その際、金慶喜氏の願いを受けて金正日氏に「もう許してあげたら」と囁き、張成沢氏を救い出したのが、金正日氏のもうひとりの妻である成恵琳(ソン・ヘリム)氏だったという。
金慶喜氏は、夫がハレンチな「喜び組」パーティーを催すのを大いに嫌っていたというが、大学生時代に大恋愛の末にゴールインしたとされる2人である。同じ女性としてその思いを理解してくれる成恵琳氏に、必死の思いですがったようだ。
(参考記事:【動画あり】ビキニを着て踊る喜び組、庶民は想像もできません)成恵琳氏は金正日氏の長男・金正男氏の母だ。一時は夫の寵愛を一身に受けたが、高ヨンヒ氏の登場や、一族内の様々な事件が重なり疎んじられ、2002年にモスクワで寂しく客死した。
(参考記事:「喜び組」を暴露され激怒 「身内殺し」に手を染めた北朝鮮の独裁者)羅鍾一氏が書いたエピソードが事実ならば、金慶喜氏が成恵琳氏に義理を感じ、高ヨンヒ氏には反感を抱いていたとしても不思議ではない。しかし結局のところ、北朝鮮の独裁権力は高ヨンヒ氏の息子・金正恩氏のものとなり、張成沢氏も金正男氏も抹殺される結果に終わったのだ。(つづく)