そのとき、夫を殺された叔母は金正恩に銃口を向けた
張成沢粛清を振り返る(2)
2013年12月12日、金正恩朝鮮労働党委員長によって処刑された張成沢(チャン・ソンテク)元党行政部長は、金正恩氏の叔母である金慶喜(キム・ギョンヒ)元党書記の夫、すなわち彼の叔父だった。
金正恩氏の父・金正日総書記には複数の弟妹がいたが、母を同じくするのは夭逝した弟を除けば金慶喜氏だけだった。肉親への情に加え、金王朝内部での権力闘争を勝ち抜くための必要性もあって、金正日氏は金慶喜氏をことのほか大事にしたとされる。
金慶喜氏は政治的にも重要なポジションにあった。一部の北朝鮮ウォッチャーの間では、彼女は金正日氏亡き後の一時期、北朝鮮の政務と人事を一手に掌握する党組織指導部長に就いていたと見られている。ちなみに、党組織指導部長の地位はその後、金正恩氏の異母姉である金雪松(キム・ソルソン)氏が継ぎ、現在は崔龍海(チェ・リョンヘ)党副委員長に移ったとされている。
(参考記事:金正恩氏の「美貌の姉」の素顔…画像を世界初公開)張成沢氏は生前、北朝鮮国内で隠然たる影響力を誇ったが、その権力の源泉が妻の血統にあったことは言うまでもない。国内無敵の血統と優れた実務能力、如才なく気さくな人柄で多くの人々から慕われ、あるいは畏怖され、金正日氏の死後には金正恩体制を陰で操縦することになると見られたこともあった。しかし結局、その存在感の大きさが仇となり、甥によって葬り去られることになるのだが。
世間が張成沢氏の処刑に驚いた最大の理由も、妻の血統にあった。まさか金正恩氏がロイヤルファミリーの一員を処刑するとは、粛清はあり得ても死にまで追いやるとは、ほとんど誰も予想できなかったのだ。そしてその驚きは、「金慶喜氏なら夫を救えたのではないか」との疑問にもつながる。
金慶喜氏はなぜ、夫を救わなかったのか。これについては諸説ある。例えば、脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表は、次のように語っている。
「もともと病苦の中にあった金慶喜氏は2013年初め、体調が著しく悪化していました。しかしそのとき、張成沢氏は一度も妻を見舞わず7人もの愛人と享楽にふけっていた。それが金慶喜氏にも報告され、彼女を激怒させたのです」
(参考記事:「幹部が遊びながら殺した女性を焼いた」北朝鮮権力層の猟奇的な実態)張成沢氏の女性関係に、行き過ぎた部分があったという情報は少なくない。彼が処刑された後、愛人だった元トップ女優が粛清されたとも言われる。
(参考記事:【写真】女優 キム・ヘギョン――その非業の生涯)一方、韓国の情報機関・国家情報院の次長や大統領補佐官を歴任した羅鍾一(ラ・ジョンイル)氏の著書『張成沢の道』によれば、金慶喜氏はこの頃、病と麻薬、アルコールによって心身を蝕まれ、もはや夫を窮地から救い出すだけの能力を持ち合わせていなかったという。
しかし同著は、張成沢氏の処刑を報告に訪れた金正恩氏に対し、金慶喜氏がピストルの銃口を向けたというエピソードも紹介している。ピストルは即座に取り上げられ、大事には至らなかったというが、金正恩氏はほうほうの体で逃げ出したという。
金慶喜氏と張成沢氏は大恋愛の末にゴールインしたことで知られているが、金慶喜氏の胸中には最後まで、夫への想いが残っていたということだろうか。
ちなみに、羅鍾一氏の『張成沢の道』には、張成沢氏や金慶喜氏本人から聞いたとしか思えないエピソードが数多く収められているのだが、太永浩(テ・ヨンホ)元駐英北朝鮮公使の著書『3階書記室の暗号』を読むと、羅氏と張氏は本当に会っていたのではないかとの思いが強まる。それについてもいずれ、検証してみることにしたい(つづく)。
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