拉致され「妻」として与えられた女性たち

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パンチョイさんがジェンキンス氏に語ったと伝えられるところによると、マカオからの船内には他の2名の女性のアジア人拉致被害者が彼女とともにいたが、彼女はこれら被害者らと話すことを許されなかった。北朝鮮到着の直前、これら女性3名は、服を脱ぐよう命じられた。服は、後日、きれいに洗濯されて返却された。到着時、3名は、一列に並んで上級指導員2名による審査を受けた。本委員会は、これら指導員2名の身元を把握している。伝えられるところによれば、幹部はそれぞれ1名の中国人女性を自分の車で連れていった。パンチョイさんは、その後、どちらの女性とも会うことはなかった。金賢姫元北朝鮮工作員は、コンさんから中国語を学んだと明らかにしている。拉致された韓国人女優の崔銀姫さん(既述参照)も、北朝鮮でコンさんと連絡があったとのことである。

➢  971: 1978年:シンガポールでのマレーシア人女性4名及びシンガポール人女性1名の拉致
「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」によれば、1978年8月20日、シンガポールにおいて、4名のマレーシア人女性、すなわちイェン・ヨケさん(23才)、セエト・タイ・ティムさん(19才)、ヤプ・メ・レンさん(22才)、マーガレット・オン・グアト・チョーさん(19才)と、シンガポール人女性のダイアナ・ン・クムさんが拉致された。日本人と称する男性2名が船上パーティーに5名の女性を派遣するようエスコート業者に依頼した。19~24才の5名の女性は消え、船も二度と現れなかった。崔銀姫さんは北朝鮮で近所に住んでいたマレーシア人について聞いたことがあるとされている。