金正恩氏「叔父殺し」の裏で動いた2人の女性

北朝鮮「女人天下」の知られざる深奥(4)

4年前の12月12日、北朝鮮の金正恩党委員長の叔父・張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長が「国家転覆陰謀の極悪な犯罪を働いた」として処刑された。金正日総書記の妹・金慶喜(キム・ギョンヒ)氏の夫で、金正恩体制の後見人のひとりと目された張氏が殺されたのは、大きな驚きだった。

張氏が殺された背景については、今も謎が残る。北朝鮮国内で張氏の支持勢力が伸長していたのを金正恩氏が危険視し、側近グループを動かして粛清に及んだというのが大方の見方だ。また、張氏が中国と親密であったことも、理由のひとつになったと考えられている。

これらは北朝鮮の公式報道が示唆している内容でもあり、分析としては正しいものと言えるだろう。しかし、一時は北朝鮮で「実力ナンバー2」とさえ言われた張氏を除去するのは、簡単なことではなかったはずだ。下手に動けば、狙った側が張氏にやられてしまう。張氏もまた、自分の政敵を冷酷に抹殺してきた人物だからだ。

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7人もの愛人と

ならば、張氏の粛清は誰がいつ、何がきっかけで決断し、どのように計画され実行されたのか――これらはいまだ詳らかになっていない。

しかし一部には、その経過についてなかなか具体的なレポートを発表している専門家もいる。推測も交えたもので裏付けが取り切れているとは言えないが、興味を引く内容ではある。

脱北者で平壌中枢の人事情報に精通する李潤傑(イ・ユンゴル)北朝鮮戦略情報センター代表によれば、張氏の除去を決断したのは金正日氏だったという。

同氏は2008年8月に脳卒中で倒れるが、回復して見ると、自分が病床に伏している間に張氏の人脈が朝鮮労働党内で立場を強めていることに気づいた。とくに内政と人事のいっさいを掌握する党組織指導部に対する浸食が激しく、2010年には李済剛(リ・ジェガン)、李容哲(リ・ヨンチョル)という党組織指導部の2人の第一副部長が相次いで亡くなった。この2人は、張氏の派閥による暗殺説が根強く囁かれている。

それでも、金正日氏もすぐには張氏の除去を決断できなかった。若年の金正恩氏がある程度、権力継承を終えるまでは、経験豊かな張氏の後見が必要だったからだ。

そして、自分の死期が迫っていることを感じていた金正日氏は、ごく少数の人間に張氏の監視を命じた――。

これが、李氏が主張する「張氏粛清の内幕」の概要である。ちなみに金正日氏が張氏の監視を命じた人物とは、ひとりは池在龍(チ・ジェリョン)駐中国大使、もうひとりは自身の次女である金雪松(キム・ソルソン)氏である。

池氏は張氏の腹心中の腹心と言われた人物だ。それにもかかわらず、張氏の粛清後も現職にとどまっていることで、「金正恩氏に張氏を売った」との説が根強く囁かれている。たしかに、池氏の中国赴任は2010年であり、李氏の主張と時期的には符合する。

一方、デイリーNKジャパンは先日、李氏の協力を得て金雪松氏の写真を世界で初めて公開するとともに、彼女が党組織指導部の幹部としてキャリアを重ねてきた事実を伝えた。父親の秘書役も兼ねていたとされる彼女ならば、張氏の動向を監視し、父親に報告を上げるには適任だっただろう。もしかしたら、張氏の不穏な動きを父親に伝えたのは彼女だったのではないか。

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そして、張氏粛清を巡って残るもうひとつの謎は、妻である金慶喜氏がどのような立場を取ったかだ。金慶喜氏は2012年4月に開かれた党第4回代表者会で組織担当書記に就任している。李氏によれば、彼女はこのとき党組織指導部長も兼務していたという。事実であれば、彼女の裁可なしに張氏粛清の実行は考えられない。これについて李氏は、次のように説明している。

「もともと病苦の中にあった金慶喜氏は2013年初め、体調が著しく悪化します。しかしそのとき、張氏は一度も妻を見舞わず7人もの愛人と享楽にふけっていた。それが金慶喜氏にも報告され、彼女を激怒させたのです」

北朝鮮の男性権力者たちの身勝手は今に始まったことではない。ただ、この話が事実なら、張氏にそもそも北朝鮮を引っ張る実力があったかどうか、疑わしくなる。

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いずれにしても、張氏粛清で金慶喜氏や金雪松氏が一定以上の役割を果たしたことは確かだろう。また、張氏粛清なくして、金正恩氏が現在のような独裁権力を手にすることはなかったように思われる。

そう考えてみると、金正恩体制においてこの2人の女性の存在感は、相当に大きかったことがわかるのだ。(了)