【インタビュー】韓国哨戒艦「天安」撃沈事件、延坪島砲撃を主導した金英哲氏とは?

金英哲氏の本名は「金ドンス」

さらに、金英哲氏は故金日成氏と正日氏の信任を得る。1989年2月の南北当局者会談の予備接触の際に、北朝鮮代表として出席し、1990年9月の第1回南北高位級会談の際にも、北朝鮮側代表団に出席したことがきっかけだ。

金英哲氏の会談の場面を見た金日成氏は、「実に賢いやつだ」とほめたという。そして、金英哲氏の昇進作業が素早く行われるようになり、1991年には、偵察局副局長の地位を得る。

この時、「金英哲」に改名した。本名は金ドンス。金日成氏は「自分もパルチザン時代にはいくつもの仮名を使っていた」「金英哲という名前を使ってもいい」と言ったそうだ。ノ・スンイル大佐が金英哲氏本人から直接聞いた話として、私に語ってくれた。

Q.張成禹氏が金英哲氏をプッシュしたというのは実に興味深い。しかし、張成禹氏も張成沢氏も悲惨な最期を遂げたが、金英哲氏へ​​の影響はなかったのか?

チェ:張成禹氏は1988年に偵察総局長から左遷された。後押しする人物をなくした金英哲氏も、危うくないかと思われた。しかし、彼は言葉も行動も慎んだ。