【画像】「炎に包まれる兵士」北朝鮮、ICBM発射で死亡事故か…米メディア報道

さらに、2016年10月20日にも、ムスダンと見られる中距離弾道ミサイルの発射実験が失敗に終わっており、このときには直後に起きた火災によって移動発射台が燃えたことがわかっている。いずれも人命被害は確認されていないが、兵士らが犠牲になっていたとしても不思議ではない。

そもそも北朝鮮では、このような人災が繰り返し起きている。

(参考記事:北朝鮮、橋崩壊で「500人死亡」現場の地獄絵図

【目撃談】北朝鮮ミサイル工場「1000人死亡」爆発事故の阿鼻叫喚

RFAが報じた「火星15」発射の瞬間。火炎を上げるミサイルの左手前に見えるのが人影だという(RFA)

米国の北朝鮮専門ニュースサイト、NKニュースが最近、事故発生当時に江界在住だった脱北者の証言を引用し、事故の顛末を詳しく報じている。

150キロ先から見えた火炎

証言したのは、当時江界市の食糧配給の指導員として働いていたコ・チョンソン氏だ。その内容は次のようなものだ。

1991年11月30日。夜勤を終えたばかりの26号工場の組み立て班の班長、タク・チョンサンは疲れ切っていた。彼が火薬を乱暴に扱ったことで、午前9時半ごろ、小規模の爆発が起き、火の手が上がった。

歩哨に立っていた若い女性が消防に通報し、保安署(警察署)も出動した。現場に派遣された60人の保安員(警察官)は3組に分かれて、地下の工場へとつながる鉄製のドアを閉じようとした。