【画像】「炎に包まれる兵士」北朝鮮、ICBM発射で死亡事故か…米メディア報道

またこの情報筋は、「道内では司法機関と保健機関、党機関にだけ電気を供給していたため、テレビで発射映像を視聴した住民は多くない」としながら、「しかし、電気が供給されていた施設でテレビを見た人々によって、この(事故の)ニュースはあっという間に広がった」としている。

問題場面の画像

一方、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の情報筋も「『火星15』の’発射場面が最初に流されたときには、発射台近くにいた兵士が炎を避けようとする様子が間違いなく映っていた。また編集された映像にも、兵士の姿が一瞬だけ映っている」と話している。ただ、最初の映像を見た人でなければ、編集後の映像を見てもどこに人影が写っているかわからないという。

【目撃談】北朝鮮ミサイル工場「1000人死亡」爆発事故の阿鼻叫喚

北朝鮮の慈江道(チャガンド)の江界(カンゲ)市で1991年、ミサイルや砲弾を製造していた軍需工場が大爆発を起こし、多くの死傷者が発生した。当時、北朝鮮にいた人の間では有名な話だが、海外ではあまり知られていない。

米国の北朝鮮専門ニュースサイト、NKニュースが最近、事故発生当時に江界在住だった脱北者の証言を引用し、事故の顛末を詳しく報じている。

150キロ先から見えた火炎

証言したのは、当時江界市の食糧配給の指導員として働いていたコ・チョンソン氏だ。その内容は次のようなものだ。

1991年11月30日。夜勤を終えたばかりの26号工場の組み立て班の班長、タク・チョンサンは疲れ切っていた。彼が火薬を乱暴に扱ったことで、午前9時半ごろ、小規模の爆発が起き、火の手が上がった。

歩哨に立っていた若い女性が消防に通報し、保安署(警察署)も出動した。現場に派遣された60人の保安員(警察官)は3組に分かれて、地下の工場へとつながる鉄製のドアを閉じようとした。