抗議する労働者を戦車で轢殺…北朝鮮「黄海製鉄所の虐殺」
光州事件、5・18光州民主化運動と呼ばれる事件が起きたのは、35年前の1980年のことだ。
1979年12月12日のクーデターで政権を握った全斗煥氏が翌年5月17日に韓国全土に戒厳令を発令、それに反発した全羅南道光州市の市民の抗議活動を武力で鎮圧したものだ。
暴力的な鎮圧で、政府に公式認定されただけでも現場での死者165人、後遺症による死者が376人、行方不明者76人、負傷者3139人という膨大な犠牲が出た。実際の犠牲者数はこれをはるかに超えると言われている。
北朝鮮の労働新聞は今年5月18日の紙面に掲載された光州事件の解説記事で、「光州人民蜂起は米国の植民地支配と全斗煥、盧泰愚一味の暴悪な軍部ファッショ独裁統治を終わらせ自主、民主、統一を成し遂げるための南朝鮮(韓国)人民の血の滲む反米反ファッショ愛国闘争」「戦時でもない平和な時期に民主主義のために決起した市民たちを無慈悲に大殺戮作戦を繰り広げ都市全体を身震いのする血の風呂にした光州大虐殺蛮行は東西古今の歴史で見当たらない最も残忍無道な行為」と紹介している。
また、「身震いのする光州大虐殺蛮行を裏で操っているのは米国」「米国の庇護と全的な支持で血なまぐさい殺戮蛮行で5000人あまりが無残に虐殺され1万4000人あまりが重軽傷を負い、歴史に類を見ない流血惨劇が繰り広げられた」と米国と韓国を非難している。
きっかけは「密告」
ところが、北朝鮮でも「光州事件」同様に決起した市民への「大虐殺蛮行」が行われていた。以下、韓国の各メディアに掲載された脱北者の証言を元に事件のいきさつを再構成した。
北朝鮮が未曾有の食糧難「苦難の行軍」の真っ只中にあった1998年。平壌の南にある黄海北道(ファンヘブクト)の松林(ソンリム)市の黄海製鉄所で事件は起きた。
事の発端は数ヶ月前に遡る。製鉄所の支配人、責任秘書が集まって10万人近い従業員のための食料をいかにして調達するかを議論していた。
出された結論は、製鉄所で製造している圧延鉄板を中国に輸出してトウモロコシと交換するというもの。彼らは中央に報告せず事を進めることにした。報告したところで、圧延鉄板は軍需用という理由で輸出が許可されないことが明らかだったからだ。
黄海製鉄所所有の漁船は圧延鉄板を載せて中国に向かった。副支配人や販売課長など幹部が船に乗り込んで、中国との交渉に当たった。その結果、船は大量のトウモロコシを積んで戻ってくることができた。
拷問の末に公開銃殺
ところが、港に着いた瞬間に幹部、乗組員全員が朝鮮人民軍の防諜機関である保衛指令部に逮捕されてしまった。どうやら誰かが密告したようだ。
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