【対北情報戦の内幕-17-】海保を「情報機関化」へ導いた北朝鮮との銃撃戦

「海保は、北朝鮮が日本人を拉致していたことを経験的に知っていた。日本海で行方不明になった漁師は実は北朝鮮に拉致されたとか、夜な夜な沿岸に現れる不審な船は北朝鮮のスパイ船で、それに協力している漁師もいるとか……。海保は、そんな話を漁師たちからずっと聞いていたんだ。

ただ、海保の任務は救難や密漁の取り締まりがメイン。公安的な視点は、一部の捜査官を除いてほとんど持っていなかった。そんな海保の雰囲気を一変させたのが、北朝鮮の工作船事件だ。巡視船が機銃掃射されるという、戦後初の“実戦”を経て、これまで距離を置いていた“防衛”や“公安”の分野にも足を踏み入れるようなった」(元海上保安官)

実際に海保は、99年3月の能登沖北朝鮮不審船事案の翌2000年に、それまでの英語名称を「Maritime Safety Agency of Japan」から、準軍隊の「沿岸警備隊」を意味する「Japan Coast Guard」に変更している。